火事場でテンションが上がってしまう人

私はわりと小さい頃からエレクトーンやら吹奏楽やら合唱やら、何かしら「発表会」「コンクール」「コンサート」の出演者側になる経験が多かった。つい最近もオーケストラと共演する合唱隊への参加をしてきたのだが、私は「火事場でテンション上がってしまう人」なのだと改めて思った。

 

今回かなり練習回数もギリギリで、数ヶ月前の練習ではほんとに本番いけるの??みたいな状態だった。それが、直前の練習で形が見えてくる、ゲネでよくなってくるという急成長カーブを描いた。これが楽しいのである。もちろんもっと余裕をもって完成させろよ、という気持ちもあるのだが、演奏会直前1週間の集中力、その雰囲気が好きなのである。言ってしまえば「追い詰められた状況にわくわく」してしまう。

 

しかし、これって「追い詰められた状況を(無意識のうちに)呼び寄せてしまう」可能性がある。非日常を作り上げる、そこに参加するということは、とってもオイシイ・楽しいことで、何度やってもやってよかったと思えることだ。ただ、その代償も大きい。特に感じるのは、寝る食べるといった基本的な生活が疎かになること。100%非日常の成功に注力してしまうため、本番終了後ぶっ倒れる。

追い詰められた状況にわくわくし、それを乗り切ったときの快感に味をしめてしまうと、自分のキャパシティ以上の火事場に突っ込んでいってしまったり、火事場を掛け持ちしたり、日常を離れすぎてしまう。むやみに自分を追い込んでしまう。

 

研究も多少そういうところがあるような気がしている。論文発表や成果報告をして、他人からコメントをいただいたり、その内容が認められたりするのは、とってもうれしい。でも、その快感を得るためには長い時間がかかり(そう長い時間はかけられないというプレッシャーもあり)、その間日常のいろんなものを犠牲にしてしまうことがある。おいしさ、楽しさを知っているからこそ、この世界にいたくなってしまうのだけれど、それによって身を滅ぼす危険性もある。

 

火事場が楽しい・魅力的。そう感じてしまう性質はきっと今後あまり変わらないと思うけれど、「今その火事場に行って大丈夫?」という視点も常に持っていたいなと思う。